うっせぇわや新時代など、どちらかというとポップでアグレッシブな楽曲を歌うロッカーという印象もうかがえる女性アーティストAdoさん。
Adoさんの楽曲は、単純にロックやJ-POPとカテゴライズすることが失礼なくらい緻密で独創的ですが、その中でも異質な光を放つラブバラードソングが『永遠のあくる日』です。
筆者も、この楽曲を初めて聴いた瞬間に涙がこぼれ、これまで感じていたパワフルな楽曲を歌うAdoさんへの印象がガラリと変わりました。
本記事は、そんなAdoさんの隠れた名曲『永遠のあくる日』を歌詞の意味・世界観や曲調・音楽性を考察しながらご紹介していきます。
Adoのwiki風プロフィール
先日ベストアーティスト2022(日テレ)でも映画『ONE PIECE FILM RED』の主題歌『新時代』を歌っていた女性アーティストAdoさんのwiki風プロフィールはこちらです!
アーティスト名:Ado(あど)
本名:不明
生年月日:2002年10月24日
出身地:東京都
身長:不明
血液型:O型(本人曰く多分Oとのこと…)
メジャーデビュー:2020年10月15日
レーベル:ユニバーサルミュージック
代表曲:うっせぇわ、永遠の明くる日、新時代など
うっせぇわや阿修羅ちゃんなど、少し奇抜ながらもパワフルな歌詞・音楽性が印象的な女性アーティストAdoさん。
正直、Adoさんが世間で注目され始めた頃は、まさに『うっせぇわ』が大ヒットした頃で、社会をもぶった斬るかのようなパワーソングを歌うアーティスト登場といった感じで、多くの音楽ファンから称賛されていました。
筆者自身、ここまで直球的かつ攻撃的なパワーソングを歌うのかと度肝を抜かされたと記憶していますが、本当にただただ凄いアーティストの登場に衝撃を受けていましたね。
ただ、しばらく、すると、ただ攻撃的な歌を歌っているわけではなく緻密で計算された音楽を奏でていたことがわかり、改めて、『こういう人を天才と呼ぶのか…』と、Adoさんの音楽性のレベルの高さに圧巻させられるのです。
そして、この圧巻の極めつけとして衝撃をうけたAdoさんの楽曲が『永遠のあくる日』です。
この楽曲は、思わず涙がこぼれ落ちてしまうほど心を揺さぶり泣かせてくれるラブバラードソングとなっています。
正直に告白しますと、筆者自身、『永遠のあくる日』は、デビュー当初から抱いていたAdoさんへの印象が180度変わってしまうほど想像し難いジャンルの楽曲であり、改めてAdoさんの音楽性の奥深さを痛感させられてしまいましたね。
それくらい根底を覆すラブバラードソングであり、なにかに苦しんでいたり疲弊していたりしている方にこそ、デトックス効果ではないんですが、『永遠のあくる日』を聴いて涙流し明日また元気に前に進んでほしいですね。
『永遠のあくる日』の歌詞の意味・世界観
冒頭からお伝えしている通り、Adoさんが歌う『永遠のあくる日』という楽曲は、涙を誘うラブバラードソングという、Adoさんの楽曲にしては異色のテイストの楽曲へと仕上がっています。
では、何故、涙を誘うラブバラードソングとなっているのか、歌詞の意味・世界観を、筆者の見解ではありますが、早速解説していきましょう。
哀しいラブソングのわけ・歌詞が描いた場面とは?
まず、冒頭から、もう涙を誘う展開のフレーズが綴られていきます。
そのフレーズは、
『恋をしてしまった涙の痕、洗う雨は虹の予告編だ』
というもの…
普通、恋をしてしまった人というのは、その道中で顔を赤らめることはあっても、涙をこぼした痕が虹の予告編となるような展開にはなりませんよね。
どちらかというとウキウキするようなそんな感覚の展開が冒頭では描かれていくというのがセオリーのような気がします。
しかし、『永遠のあくる日』の歌詞を見ていくと、冒頭からいきなり恋をしたことに関して涙するという展開から始まるのです。
そこが、『永遠のあくる日』が悲しきラブバラードソングと言われる所以かもしれませんね。
さて、話を戻しますが、ここで、何故、恋をしているはずの主人公がいきなり涙するのか、その理由を考えてみましょう。
考えられる理由はズバリ『別れ』が、主人公の心を突き刺しているからだと筆者は考えています。
それが失恋なのか、何かしらの別の理由による別れなのかは、まだこの時点ではわかりません。
ただ、まるで過去の恋を物語っているかの口調にさえ、筆者の耳には聞こえてしまうのです。
ちなみにボイストレーナーのおしらさんが配信するユーチューブチャンネル動画で、Adoさんがゲスト出演し、『キミは存在しているし生きているけど手の届かないところに行ってしまった』という風にコメントされています。
あくまで、筆者の想像でしかありませんが、もしかしたら主人公が恋するキミは、戦争に駆り出され死ぬことがほぼ確定している人物ではないでしょうか。
そして、キミが戦地に旅立った直後の情景を切り取った歌詞だからこそ、『涙の痕』という哀しいワードが綴られているのではないかと筆者は考えています。
話は変わりますが、先日地上波でも放送されたアニメ映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』でも、主人公エヴァーガーデンが愛していた上官・ギルベルト少佐と戦争によって引き裂かれてしまう様子が描写されています。
その他にも家族の事情で引き裂かれた恋を描くロミオとジュリエットなど、不特定要素によって恋する誰かと会えない哀しさが胸を突き刺し、結果、涙を流し痕が残ってしまったのでしょう。
さて、話を戻しますが、永遠のあくる日の歌詞には、まさに、主人公が恋する相手と永遠の別れをしなければならない悲哀のシーンが描かれています。
それは、映画のエンドロールにというフレーズにもかかっていくほど悲しく切ない物語であると言えるでしょうね。
映画のエンドロールとは?
永遠のあくる日のサビの歌詞に『まるで、映画のエンドロールだ』というフレーズがありますが、これは一体どういうことなのでしょうか?
その答えは、その後に続く『あいしてる、あいしてる、あいしてるなんて』の歌詞に潜んでいるように筆者は感じました。
おそらく、この主人公は心底キミのことを愛しているのでしょう。
本来ならば、『あいしてるよ』と語り合うほどラブラブな関係の二人のはずなのですが、先程もお話した通り、戦争のようなどうすることも出来ない要因によって、二人の恋が切り裂かれてしまっています。
そんな中、さよならと告げてしまうのはあまりにも酷であると、キミは愛する主人公にサヨナラの代わりとして『あいしてる』と発したのだろうと思うのです。
そして、主人公は、『さよならのかわりに愛してるというのはひどすぎるよ…』と感情を揺さぶってしまったのでしょう。
二人の恋が戦争などの事情に引き裂かれ、今にも別れの挨拶を『あいしてる』でしようとするその姿そのものが、まるでここで映画が終わってしまいエンドロールが流れているかのようであると例えられているわけです。
二人にしてみれば、ただ哀しい恋でしかないわけですが、周りが見ると、なんともドラマチックな世界観なのですね。
時間を止めた理由
出典:https://www.fashion-press.net/
さて、2番の歌詞に移りますが、『今、時間を止めたね。一秒くらい』と綴られますが、これは主人公がほんの一瞬でもキミのそばを離れたくないという気持ちの現れではないかと思われます。
本来ならば、結婚したいほど愛し合っている二人でしょうし、主人公にとっては絶対に離れたくなかったはず…
ただ、何度も言うように、戦争などのどうすることもない事情によってサヨナラしなければならなかったわけで、だからこそ、ほんの一瞬でもその時を遅らせたいと思うのは心情だと思いますよ。
ありふれていても『あいしてる』が欲しい主人公の感情
特にイタリアのような国ではバーゲンセールデモしているかのごとく『あいしてる』と語る文化も存在し、どことなく『あいしてる』という言葉自体がありふれたような印象も拭えません。
ただ、そんなありふれた言葉だとしても、どこか格好いい別の言葉なんかより求められている言葉だと言うことが、2番サビ直後の歌詞でうかがえます。
それが、
『聞き飽きたでしょう?ありふれた言葉、それでも、ロックバンドもアイドル歌手も「あいしてる」「あいしてる」だったんだ』
というフレーズ…
どんなに激しいロックシンガーであっても、笑顔を絶やさないアイドル歌手でさえも、根幹にあるのはありふれた「あいしてる」という言葉であったというわけです。
それは、私達一般人にも当てはまる話で、世間では何かと差別も横行していますが、愛は誰においても平等であるということの教えが詰まっているように思えてなりません。
最後のキミの笑顔とあいしてる
最後の歌詞の部分
- 『まるで映画のエンドロールだったな最後のキミの笑顔は』
- 『それでも僕らはあいしてるあいしてるあいしてる、懲りずに飽きずにLove Love Love…あいしてる』
のフレーズは、永遠に別れることとなってしまったキミに対する、主人公の最後のメッセージのように感じます。
確かに、この二人は戦争などどうすることもない事情によって引き離されてしまいましたが、それぞれが心の中で宿した愛は、何者にも壊すことは出来ないという強い想いがメッセージとして込められていたのではないでしょうか。
近年、アイドルの熱愛報道を裏切り行為と誹謗中傷サれる方たちが増えているように感じますが、そんな批判をしたところで、愛する気持ちを完全に破壊することなど誰にもできることではありません。
愛は、ときに辛く苦しい人たちをも救う薬にもなりますし、大きな支えになります。
どうかそのことを一人でも多くの方が理解し、永遠のあくる日の世界観を楽曲を聴きながら存分に堪能してくれたらなと願うばかりです。
『永遠のあくる日』の曲調・音楽性
自身の代表曲でもある『うっせぇわ』や『ギラギラ』とは異なり、Adoさんの『永遠のあくる日』は、かなりゆったりした悲哀のラブバラードソングとして手掛けられています。
そのことは歌詞のみならず曲調・音楽性でも随所にうかがうことができますが、では、具体的にどのへんで悲哀のラブバラードと感じることができるのか、曲調・音楽性の観点から、筆者の見解ではありますが解説していきましょう。
まず、全体のリズム・テンポに関してですが、主に3拍子で進むワルツのようなゆったりした曲調で奏でられています。
この狙いは、アクティブな楽曲にしないための方策の一つなのかなと筆者は考えています。
冒頭からお伝えしている通り、『永遠のあくる日』には、哀しいラブソングというテーマが存在しています。
間違ってもロックでハイテンションなアクティブ感満載な楽曲にしてしまってはイメージそのものをぶち壊してしまう恐れがあります。
そこで、永遠のあくる日に用いたリズム・テンポが『ワルツ』!
ワルツというと、『円舞曲』と漢字で表記するほど淡々としたリズムながらテンポの良いイメージを受けがちです。
しかし、永遠のあくる日では、より一歩踏み込み、明るく弾むような音を省きながら淡々とリズムだけを刻むという工夫が施され、ワルツでありながら哀しいのです。
静かな入り方をしているのも、かすれたようなビブラートが随所で入っているのも、この悲しみの連鎖を演出するためであるのだと思います。
また、その他にも、曲調・音楽性においていくつか工夫が施されている点も注目してほしいところ…
たとえば、
- 哀しきラブバラードを象徴とさせるために、サビのラストで『あいしてる…』、の部分で2番目の『あいしてる』だけ他の『あいしてる』より半音下げている点
- Aメロとサビではまるで違うトーンで奏でられるなど抑揚がはっきりしている点
がその一つ。
おそらく制作側もAdoさんの歌声を信じ、悲哀なラブソングを演出するための最大限の演出を施していることで、『永遠のあくる日』は誕生したんだろうなと思いますよ。
ぜひ、その細かい部分も味わい、悲哀なラブソングという壮大なテーマのもとで奏でられる『永遠のあくる日』の曲調・音楽性を体感してみてくださいね。
Adoだからこそ出せる世界観
実は、ボイストレーナーのおしらさんも『この曲は病む』と称していた部分でもあるのですが、永遠のあくる日は、歌詞冒頭のビブラートは、本当にAdoさんだからこそ出せる世界観の演出であり、本当に泣けます。
もう少し具体的にみていきましょう。
冒頭の歌詞は『恋をしてしまった涙の痕、洗う雨は虹の予告編だ』でしたね。
この歌詞の文節ラスト(たとえば、恋をしての『て』の部分とか、しまったの『た』の部分など…)で、Adoさんは、ビブラートを効かせながら音量を一気に下げるというテクニックを用いて、曲の冒頭から哀しみを誘っています。
どちらかというとビブラートというのはより響かせ曲全体のインパクトを与える為に使われるのが一般的です。
しかし、Adoさんは、わざとハスキーボイス(かすれた感じの声質)を用いながらビブラートを効かせることにより、深い哀しみや切なさを誘っていたというわけ。
こんなテクニックをバンバン使ってくるわけですから、作曲者も作詞家も、Adoさんのテクニックを出し惜しみなく使い、最高の一曲に仕上げたいと思うのは当然でしょうね。
もちろん、将来カバーソングという形で別のアーティストが『永遠のあくる日』をカバーされることもあるとは思いますが、今のところ、この楽曲はAdoさんにしか歌いこなすことの出来ない唯一無二の楽曲といっていいでしょう。
どこまでも哀しく、それでいてキミを愛し続ける主人公の悲哀が胸に突き刺さる…
そんな素敵な楽曲として、みなさんの胸に響いていけばいいなと思う次第です。
永遠のあくる日が魅せる演出の凄さ
最後にAdoさんの『永遠のあくる日』が魅せる演出の凄さにも注目してみましょう。
この楽曲の2番の冒頭の歌詞で『今、時間をとめたね。1秒くらい』とありますが、その箇所で、『永遠のあくる日』では、実際に1秒間音を止めています。
こんなことって普通ではありえないことなのですが、楽曲の制作サイドが、完成前にわざと1秒間演奏を止めたみたい…
たった1秒止めたところで、放送事故にしかならないと思うかもしれませんが、されど1秒とよく言ったもので、僅かな時間が出来たことで聴き手に想像させる実に小憎い演出が施されたことは、ただただ脱帽しかありません。
また、想像させるという点で、もう一つ小憎い演出が施されていました。
それは、楽曲タイトルを『永遠の明くる日』とせず『永遠のあくる日』としたことです。
単純に楽曲に登場する主人公の名が『あくる』というからという理由が囁かれていますが、実は、もう一つ『あくる』とした理由が存在すると言われています。
その理由とは、『あくる』の部分を聴き手に自由に創造してもらいたいという楽曲制作サイドの明確な意図があったためなんだとか…
主人公とキミの関係性や楽曲の世界観を考える余白を与えてくれているのは、実に小憎い制作サイドの演出ですよね。
まぁ、そんな演出ができるのも、Adoさんの緻密に計算された歌があるからこそのプランだと思いますよ。
さらに、極めつけとして、歌詞の中に登場する『醜いラブソング』が、別のAdoさんの楽曲『ギラギラ』に登場する『醜い』とコンプレックスを抱いている主人公との関係性を持たせるための演出だったということも発覚!
一見、切なく悲しいラブバラードソングと映りがちですが、決してそれだけの要素で聴き手の心を揺さぶることなく、いくつもの畳み掛けるような演出を用意し、聴きてを楽しませてくれる姿には感動すら覚えます。
この小憎い演出の連続は、Adoさんの楽曲ならではの要素と筆者は感じています。
下記に、MV『永遠のあくる日』のリンクも貼っておきますので、ぜひ、一度ご視聴くださいね。
Ado『永遠のあくる日』のまとめ
今回は、Adoさんの名曲『永遠のあくる日』の歌詞の意味や世界観、曲調・音楽性、細かい秀逸な演出などを、筆者独自の見解やAdoさんの語られた話なども交え解説させていただきました。
Adoさんは生きているけど手の届かない場所に二人が離れているとコメントされていましたが、手の届かない場所など存在しません。
やはり、戦争で命を奪われることが分かっているからこその永遠の別れといった状況にある恋模様を描いた楽曲と思います。
ただ、タイトル『永遠のあくる日』とあるように、聴き手それぞれの主観で想像し世界観を作り上げていく楽曲でもあるので、ぜひ、みなさんも一度聴いてみて自分なりに情景を想像してみてくださいね。