明治・大正・昭和・平成・令和と江戸時代が幕を閉じた現代社会で多くの洋式文化が取り入れられ、この数百年の歴史は目まぐるしく変化してきました。
しかし、恋愛においては、親が決めた相手と結婚するという図式から自由恋愛へと変化はしつつも、人が人を愛する部分に変化は無く、時には時空を超えた恋愛も描かれる時代が…
そんな感情を抱かせてくれる楽曲がYOASOBIの『大正浪漫』です。
そこで、本記事では、YOASOBIの大正浪漫の歌詞の意味や世界観、曲調・音楽性を独自見解で紐解きながら時空を超えたラブロマンスの魅力をたっぷりとご紹介していきます。
YOASOBI『大正浪漫』のwiki風概要
平成・令和という現代社会と大正という過去の時代を結びつけるような時代を超えたロマンチシズムを描いたYOASOBIの『大正浪漫』。
時代を超えた恋物語がこの楽曲を通じて堪能でき、筆者自身、非常に心が潤いましたが、きっと、胸キュンした聴き手は筆者だけではなかったと思いますよ。
では、そんなYOASOBI『大正浪漫』の簡単なwiki風概要をまずは見ていきましょう。
楽曲名:大正浪漫(たいしょうろまん)
アーティスト:YOASOBI
リリース:2021年9月15日
収録形態:12thシングル(表題曲)
作詞・作曲・編曲:Ayase
原作モデル(小説):「大正ロマンス」・「大正浪漫」(著:NATSUMI)
レーベル: YOASOBI
アイドルや祝福のように、爆発的な支持を得ているかと言われたらそこまでヒットはしていませんが、それでも多くのVTuberなどからカヴァーされ、さらには踊ってみた動画でダンサーもこの楽曲踊るほど世間への影響力は計り知れません。
そんな多大な影響力を持つYOASOBIの隠れた名曲『大正浪漫』は少しロマンチシズムに浸りたいときには最高の一曲となり聴き手のハートに突き刺さることでしょう。
さて、そんなYOASOBIの『大正浪漫』ですが、落ち着いたテイストの曲調といった印象ながら、その物語性は壮大で、アイドルや祝福とは異なるYOASOBIの壮大さが存分に堪能できる一曲に仕上がっています。
そもそも、時空を超えて恋愛するなんて発想はリアルでは起こり得ない話で、物語だからこそ体感できる世界です。
しかも、明治でも江戸時代でもなくあえて大正時代をチョイスするセンスも抜群!
もちろん価値観によって明治の方がよりリアリティ高いと言われるかもしれませんが、大正という時代はたった15年しか無い歴史が実に儚くアンニュイで、TVゲーム『サクラ大戦』も然り恋愛をテーマに描くには最適な時代だと思います。
そして、ネット社会など様々な文化が進んだ現代社会とリンクさせその中で、恋が芽生えていく様子が描かれていく…
そんな『大正浪漫』はまさに、その名が示すようなロマンチシズム満載な名曲と言えるでしょう。
思わず恋心をくすぐられ胸キュンしてしまいそうな楽曲ですので、その世界観を大切にしながら、ゆったりした気持ちで聴いてみると、すごく癒やされることと思いますよ。
ぜひ、恋心を描きながらYOASOBIの『大正浪漫』の描く世界観をじっくり堪能してみてくださいね。
大正浪漫が描く儚く切ないロマンチシズム
YOASOBIが歌う『大正浪漫』というい楽曲を聴いて、みなさんならどのような印象を抱くでしょうか?
あくまでこれは筆者の個人的意見でしかありませんが、YOASOBIの大正浪漫を一言で表すならば、『儚く切ないロマンチシズム』という言葉がぴったりではないかと考えています。
まず、一通の手紙から始まった恋という設定もさることながら、それが時空を超えた非日常的なストーリーと実に切なくありませんか?
どんなに恋をしあって会いに行くといったところでリアルでタイムスリップなんてできるわけもなく、二人が実際に出会うことは到底不可能…
どんなに恋をしてもいつかは現実社会に引き戻されていく…
それこそ、まさに恋し合うことを禁じられたロミオとジュリエットのような切なさ・儚さを感じるのですが気の所為でしょうか?
そういったロマンチシズムというべきどこか切なく胸を締め付けられてしまいそうなラブロマンスが展開された楽曲だからこそ、多くのファンのハートに響いたのではと思うのです。
歌詞の意味や世界観、曲調・音楽性に関しては後ほどご紹介していきますが、随所に思わず心をくすぐられる要素を張り巡らせる様相は、原作小説をモデル楽曲を手掛けるYOASOBIにしか描けない儚く切ないロマンチシズムです。
みなさんもぜひその切なく儚いロマンチシズムを体感し胸キュンしながら大正浪漫を堪能してくださいね。
※大正浪漫のMVのリンクを下記に貼っておきますので気になる方は一度視聴してみてくださいね。
大正浪漫の歌詞の意味・世界観
冒頭から、YOASOBIが歌う『大正浪漫』は、切なく儚いロマンチシズムを描いた壮大なラブロマンスと称してきました。
では、歌詞の意味合いや世界観がどのようにラブロマンスを物語っているのか、早速、独自見解ではありますが紐解いていきましょう。
突如舞い降りた一通の手紙
古の時代と近代社会とではそこで生きる人々がつながることなど到底ありえるわけもなく、ましてや恋が始まるなんてことはとても考えられない事実…
そもそも出会うわけもないのだから、恋なんて始まりようがないと思うものですが、そんな時代を超えたラブロマンスがある一通の手紙をきっかけに始まります。
そんな情景が描かれている大正浪漫のAメロの歌詞がこちらです!
ある日突然にそれは
訪れた出来事
始まりは一通の手紙
送り主ははるか昔を生きる君
そんな不可思議な出会い僕の時代には今
こんなものがあって
こんな暮らしをしているよ
文字に込めて伝え合ううちに
いつしか芽生えたロマンス※赤文字は特に大事なフレーズです
とりあえず、一部の歌詞だけ切り取るとストーリーが全く分からなくなりかねないので、今回はAメロ全部引用させていただき、特に大事な歌詞と思ったところを赤字で表記させていただきました。
今の時代、大正浪漫・Aメロ後半の歌詞にあるように、僕(今)の時代にはこんなものがあってこんな(便利な)暮らしをしているわけでい、そんな中、突如舞い込んだ古から一通の手紙を、みなさんならどう感じるでしょうか?
一般的には、何かしら気持ち悪い詐欺まがいのDMかもと疑心暗鬼に陥りスルーしても別におかしな話ではないのですが、大正浪漫の主人公は真摯に手紙を受け取り送り主とやり取りを文通で行っていたのです。
- 『近年はこんな暮らしになっているよ。君の世界はどうなんだい…』
- 『私の時代の暮らしはねこんなふうなんだよ…』
なんて会話が時空を超えた手紙のやり取りで行われたのでしょう。
そして、気がつけば恋が芽生え愛し合うようになってしまったようです。
きっかけは、たった一通の手紙でしかありません。
しかし、そんな手紙をきっかけに、時代を超えた壮大な恋の物語が起こるのだと改めて痛感させられたような気がしますね。
出会えないこそ募る思い
冒頭からお話している通り、大正浪漫に登場する男女二人は残念ながら大正時代と現代社会でそれぞれ生きている二人なので、時空を超えて出会うことは出来ません。
ただし、出会えないからこそ二人の募る思いはどんどん膨れ上がっていくわけです。
その様子がうかがえる大正浪漫・Bメロの歌詞がこちらです!
決して出会うことの出来ない僕ら
それぞれの世界から
綴る言葉
募る思い
姿さえも
知らないまま
決して出会うことは叶わないとわかっていながらも、それでも大正と現代でそれぞれに生きる二人は、一通の手紙に言葉を綴り、想いを寄せ合うことで恋しあっていくのです。
その姿が実に切なくロマンチシズム故、聴き手は胸が締め付けられてしまうのでしょうね。
時代が違えど変わらぬ恋心・君に会いたい思う気持ち
大正浪漫の本質は、まさに時空を超えても変わらぬ恋模様にあり、そのことを切なく儚いロマンチシズムでたっぷり描いているように筆者は感じています。
そんな情景が大正浪漫のサビの部分でストレートに描かれています。
- 君のことを時代は違っても待ち焦がれているんだ
- 好きだから一目で良いから会いたい
といったストレートな気持ちは、もはや解説不要の恋心ではないでしょうか?
確かに一通の不可思議な手紙から始まった恋であり、そもそもどのように現代社会に舞い降りてきたのかすらわかり得ない話ではあります。
ただ、そんな不可思議な状況においても恋する気持ちというのは不変であり愛おしいものであるということを物語っているのであれば、その美しさ・切なさ・儚さに、ピュアな人間ほど胸が締め付けられるのは当然と言えるでしょう。
2番以降で見えてくる情景・結末
YOASOBI『大正浪漫』で描かれている『突然現代に舞い降りた一通の手紙』の正体というか、
- 何故主人公のもとに舞い降りたのか?
- それが何故恋文として発展できたのか?
といった謎はやはり気になるところでしょう。
先程も触れた通り、突然舞い降りた一通の手紙の内容は、大正時代に暮らすある女性からの未来に対する憧れからスタートしたものだったように思われます。
その情景がうかがえる大正浪漫・2番の一部の歌詞がこちらです!
はるか彼方100年先を
君が見てみたいと願った未来を今
僕はまだ歩いているよ
確かに、100年以上生き抜くことはなかなか珍しいこととだとは思うのですが、とはいえ、現代に生きる僕が『君が見てみないと願った未来』と過去形で話すのでしょうか?
筆者はふと首をかしげそうになりましたが、大正時代という第一次世界大戦や関東大震災といった災厄が訪れた時代を考えるとその理由が何となく見えた気がします。
それは、これらの災厄によって彼女がすでにこの世にいないことを現代の僕(青年)が気づいていたからではないでしょうか。
その上で、未来に対して恋い焦がれていた彼女の感情が、一つの思念となって現代で生きる僕(青年)の前に一通の手紙としてたまたま舞い降りたのでしょう。
あくまで、きっかけは、戦争も災害もなく平和な日々を過ごせると思われる未来に恋い焦がれた若き女性が、現代社会に生きる人達に手紙を送ろうとしたところからスタートした物語なのでしょう。
そして、たまたま一人の僕(青年)がその手紙を受け取り交流を図ろうとした中で恋心が芽生えていったと考えるとなんとなく話の顛末が見えてくる気がします。
なお、大正浪漫の歌詞の最後の5行がこちらです!
僕に書いた最後の恋文
君が君の時代生きた証を
八千代超えても握りしめて
僕が僕の時代に見るその全てを
いつか伝えに行くよ
この歌詞を見ていても、やはり、大正時代に生きた彼女がすでに亡くなられているのだろうと、なんとなくではあるのですが見えてくるような気がします。
特に『最後の恋文』や『証』という言葉は、これからも続く恋文であればそんなフレーズが出てくるわけもないと思いますし、すでに終わってしまったからこそ出てきたフレーズだと思うのです。
結末として、二度と会うことが出来ない切なく儚い恋物語の相手女性に対して、僕は生きた証をいつか伝えに行くと、生まれ変わってからも愛しつづけることを誓い幕を閉じたロマンチシズム満載なラブロマンスだったと思われます。
実に胸を締め付けられるようなそんな稀有な物語を感じながら、YOASOBIの大正浪漫を聴いてもらえると、より味わい深くその世界観を堪能できると思いますよ。
大正浪漫の曲調・音楽性
出典:https://www.fashion-press.net/
大正という短い時代を舞台の一つに取り上げ、現代社会とリンクさせつつも出会うことのない二人の男女の恋物語を描いたYOASOBIの『大正浪漫』。
まさに歌詞を振り返ってみても、タイトルにある浪漫が心に突き刺さるラブロマンスな意味合い・世界観が堪能できる作品に仕上がっていることがうかがえます。
ただ、それは何も歌詞における話だけではなく、曲調・音楽性でも十二分に伝わります。
では、筆者の見解ではありますが、少し掘り下げながら、どの辺がラブロマンスなのか、大正浪漫の曲調・音楽性を見ていきましょう。
まず、大正浪漫の基本的な曲構成はこちらです!
Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Cメロ(2番)→サビ’→エンド
正直なところ、かなりシンプルな曲構成で、2番の歌詞として先程説明しやすくご紹介していますが、厳密にはCメロであり2番というより一つの楽曲という構成といった方がしっくり来るのかもしれません。
また、全体的にもレトロ感を醸し出させるように、ロックで鳴らされるようなエレキギターがガンガンなるわけでもなく、かなりシンプルな楽器で奏でている印象も…
具体的にバンド譜を見ているわけではないので、詳しい楽器構成までわかりかねますが、Aメロや間奏後のCメロなどでピコピコ鳴っている楽器は、ピアノのような雰囲気を醸すシンセベースで鳴らしているのかと個人的には思いました。
ピアノではエッジが効きすぎて、またオルガンでは響きすぎるからシンセが使われたというのが理由だと思うのですが、これに関してはあくまで筆者の憶測なので違っていたらごめんなさい。
ただ、少なからず、ハーモニカ・アコーディオンなどの音を使うなど、レトロでありながらゆったり柔らかいラブロマンスを演出する音を多数組み合わせ楽曲として仕上げていることは紛れもない事実と見ていいでしょう。
実際に鳴っているドラムもシンバルを多数ならすというよりベースを刻むためにバスドラとかが叩かれているだけにとどめたという印象を受けますし、最小構成によるレトロ調の音楽が、大正浪漫の主体と言えるのではないでしょうか。
こういったレトロでありながら浪漫たっぷりな曲構成・音楽性は、シンプルでありながらメリハリもありすごく心に伝わります。
時空を超えたラブロマンスをこの計算され尽くした音楽とともに、ぜひ、一度体感していただければ幸いです。
大正浪漫から考えうるもう一つのメッセージ
最後にYOASOBIの大正浪漫から、現代社会に通じるもう一つのメッセージを考察してみたいと思います。
大正浪漫は、時空を超えて出会うことのない男女が恋を育む壮大なラブロマンスを描いた楽曲です。
あくまで大正時代と現代の間でやり取りする恋文を主軸描いたラブロマンスですが、これって、一つ考え方を変えたら今の時代で何かと問題視されている同性愛などにも相通じる世界観とさえ思うのです。
一般的には非常識なことであったとしても、当人においては一般的な恋愛感情と違いはなく、でも社会的に許されていなかったりして切なく儚い思いを張り巡らせていることでしょう。
もし、この時代に時空を行き来できるタイムマシンがあるならば、別に大正時代の彼女と恋をしても何ら不思議ではありませんよね。
時空を超えたラブロマンスは切ないと思われるのに、同性愛は偏見でみるというのもおかしな話ではないかと筆者は考えています。
つまり、大正浪漫が提唱していることは、愛は時空であれ人類であれ関係なくどのような形でも不変であり崇拝されるべきであるという主張ではないかと思うのです。
もちろん、これは筆者の一つの考えでしかありませんが、愛について考えるいい機会ではあると思うので、ぜひ、YOASOBIの大正浪漫を聴きながら愛することの素晴らしさを思い出してみてはいかがでしょうか。
YOASOBI大正浪漫のまとめ
今回は、YOASOBIの大正浪漫という楽曲に焦点を当て、筆者独自の見解ではありますが、歌詞の意味・世界観、曲調・音楽性から、楽曲の魅力や伝えようとするメッセージ性を掘り下げて解説してみました。
今回の大正浪漫は、まさにタイトルが示す通り、大正時代と現代と絡めた切なく儚い壮大なラブロマンスを描いた楽曲であり、一通の時空を超越した恋文が織りなす物語性は歌詞も音楽性も随所で堪能できる一曲と言えるでしょう。
もちろん、ただラブロマンスを描くだけではなく愛は不変であるというメッセージ性も込められているように思えるだけに、愛を感じながら、ぜひ大正浪漫の世界観を堪能していただけたら幸いです。